バンコクの夜の歓楽街として知られるタニヤ通り、日本の企業戦士たちの疲れを癒す社交場として発展したこの通りの一角にある居酒屋「酒の店」は、創業25年を迎える。

昼はランチ営業で日本の企業戦士たちの腹を満たし、夜は居酒屋営業で日本人の企業戦士たちの疲れを癒し、昼夜を問わず、日本人が数多く集まる老舗居酒屋「酒の店」。

そんな「酒の店」本店を取り仕切っている石井りょうじさんに、話を聞いてみました。

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― りょうじさんって、タニヤ生まれ、タニヤ育ちですよね?

え、ま、まぁ、そう言われれば、そうですね。

― 昔のタニヤとか、記憶にありますか?

いや、タニヤがどうだったか分からないですけど、オヤジがやってた店のレジ裏とかカウンターの裏で遊んでた記憶があって、お店に求人で来た女の人とかのプロフィールシートを見ていたのを覚えてますね。

― ずっと店で遊んでたんですか?

夜は店にいましたね。親が共働きだったから、うちで面倒を見てくれるひとが来るまでは、だいたい夜は店ですね。

― じゃあ、ほんとにタニヤ育ちですね。

でも、小学校の高学年、小5の時に、イギリスに行っちゃったんで。

― え?イギリス?

そうです。中学校まではイギリスの日本人学校で、そのあと、高校と大学は地元の学校に行きました。ずっと寮で生活していたんですよ。

― 小学校から大学までイギリスって、随分と長いですね。


はい、12年間、イギリスに居ましたから。

― イギリスで、料理の勉強をしたんですか?

いや、グラフィックデザインなんですよ。

― あ、そうなんですね。

そうそう、だから大学を卒業してからタイに戻ってきた後も、最初はグラフィックデザインの仕事をしてたんですよ。

― 例えば、どんな仕事ですか?

サービスアパートのデザインとか、広告を作ったりとか、そういう仕事をしてましたね。

― へー、でも、どうしてグラフィックデザインだったんですか?

うちの爺ちゃんは、元々は駐在員として、日本の大手の印刷会社の仕事でタイに来て、それから独立して四色刷りの印刷の仕事をしていたんですよ。

オヤジにも、そういう仕事をさせるために大学に行かせたかったけど、金がなくて無理だったんで、俺にやれって言ってくれたんですよ。

― デザインの仕事は面白かったですか?

面白かったんですけど、めちゃくちゃ給料が安くて、こんなのやってられないなぁと思って・・・

映像関係のデザインをやりたくて、そういう仕事にも関われるチャンスがあったんですけど、給料を見て、ちょっと無理だなって思いました。
 
― で、酒の店で働くことになったんですか?

いや、それまでに、色々とあるんですよ・・・


<つづく>

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グラフィックデザインから厨房へ!石井りょうじさんに聞いた(2)
 

※2015年10月26、27日の二日間、タニヤではジャパンフェスティバルが開催中です!
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